引きこもり、死んだつもりで人生リセットしてプロキックボクサーになった話
- 渡邉
- 1 日前
- 読了時間: 8分
1.特に運動もない学生時代
2.専門中退→引きこもり
3.決意を固め1年間体づくり
4.キックボクシングジムに通う
5.再び挫折と引きこもり
6.死んで人生リセットしたつもりで再スタート
7.再び身体づくりからキックのジムへ
8.キックボクシング練習生~プロまでの話
9.誰かの心を動かせたら
1.特に運動もしない学生時代
小学生のころは、運動神経は普通で
特徴としては「クラスで一番のあがり症」(自称)
緊張するとお腹が緩くなったり、吐き気がするタイプでした。
人前で何かをすることが大の苦手でした。
中学は遊びのような部活で
高校は帰宅部でほぼ運動せず。
唯一筋トレだけは小学校の頃から自宅でやっていました。
2.専門中退→引きこもり
なんとなく音楽の専門学校に行くも合わずに中退。
将来やりたいこともなく、次第に引きこもる。
当時友達もいなく孤独で、女性と付き合った経験もなかったため、
「周りは楽しくやっているのになんで自分はこんな、、、」
と周りへの劣等感を感じつつ、なんの楽しみも無く未来への期待もない自分は、怒りの矛先を親や世間へ向けていた。
(毒子供とでも言うんだろうか)
そんな怒りが日々膨らむ引きこもり生活をしばらく続けている中、自分が唯一楽しみにしていた格闘技中継。
ある日、有名な俳優が0から格闘技を始めて大みそかの大舞台で1流のプロと対決するという無謀なニュースを見て大きな刺激と勇気を受け、大好きな格闘技、「これを目指すしか自分の道はない」と心が決まり、格闘家を志すことに。
このとき抱えていた怒り(劣等感)を向ける場所が見つかったという意味でも良かったのかもしれません。
3.4.決意を固め1年間体づくり→キックボクシングジムへ
長年の運動不足&引きこもり続けて、スクワット数回で腰を抜かすほど太ももが自分で見ても華奢になっていたので、身体づくりのために1年スポーツジムに通ってから、キックボクシングジムに通う計画に。
最初は5分も走れないレベルから、1年じっくりかけて筋力と体力も鍛えてから満を持してキックボクシングのジムへ。
しかし通い始めて半年もしないころ、身体づくり中に痛めていた膝裏の痛みが悪化し、次第に歩くことも困難になり、ジムを休みリハビリ生活に。
20歳ごろまでまともに運動してこなかった人間が、急激にハードな運動をしたことにより身体は悲鳴をあげ、痛めても気にせず運動を続けたことで限界が来たようだった。
膝裏は病院でレントゲンやMRIを撮っても異常はなく、引きずるほど辛くても特に診断もなく精神的なものと言われ、何件か他の整形外科、接骨院をあたっても電気を当てて痛み止めをもらうだけで何も変わらなかった。
それなら今できることをやろうと、脚を使わない上半身の筋トレや腕だけで泳いだりしながら、ほぼ毎日接骨院に通うことを来る日も来る日も半年~1年くらい続けた。(今考えるとよくこんなに長い間リハビリを頑張ったと思う)
ここまで頑張れた理由は、「劣等感」によるエネルギーそのもので、今まで何もなかった自分がここで頑張らなかったら惨めなものしか残らず、もう終わりだと思っていたから。
5.再び挫折と引きこもり
しかし肝心の膝は全く改善せず、未来が見えなくなり心が折れてすべての運動を辞める。
人生をかけて臨んだチャレンジが出鼻から挫かれ、「神様にも見放されるのか...」と絶望からそのまま抜け殻のように引きこもる。
1日中ゲームをしたり、1日床に突っ伏して涙することもあれば、たまに格闘技を見たり、音楽を聴きながら一日寝ていたり。
その時は連絡をするような相手すらいなく本当の孤独だったので、もうこの世には何の未練もなく生きている意味も感じなかったので、どうやってこの世からいなくなろうか考えるようになった。同時に親や社会を恨んでいた。(勝手に)
自暴自棄になって事件を起こす人や、周りに迷惑をかけて死のうとする人の気持ちに共感するようになった。
死についていろいろ考えて、人生をリセットできるのか、死んだらその後どうなるのか、、、結論、「死んだら無になって存在は消えて、考えることもできない」っていう残酷な現実があるんだろうなと思いつつ、涙した。
そんな心境でも行動に起こさなかったのは、「ゲーム」と「音楽」と「格闘技」のお陰でなんとかギリギリ気持ちが救われていたところがあった。特に「音楽」には聴きながら涙が出たり救われたところは大きかった。よく1日中聴いていた。
6.死んで人生リセットしたつもりで再スタート
その後の心境の変化があったきっかけの記憶があまりないが、引きこもって1年以上過ぎたころか、
「本当に死のうと思った人間が、命をかけて捨て身で頑張ったら誰よりも強いんじゃないだろうか」
と考えるようになり、日に日にイメージを強く持ち始めた。当時読んだ何かのマンガに自分を重ねたのかもしれない。(当時どの分野でも一番努力できる人が一番に慣れると思っていた)
世の中への怒りも、「見てろよ、見返してやる」というようなモチベーションに作用してより強く固まっていった。
そして決意を固めたときに決めたことは、
「今までの自分は一度死んだものとして、生まれ変わり別の人生として歩む」
と決めて、自分を知っている人のいない世界でやり直すイメージで、
連絡先をゼロにして誰からもわからないようにするため、
使っていた携帯を捨てて、新しい携帯を買い、
本当は名前も変えたかったが難しかったので、
ずっと使っていた「渡辺」から普段使わない難しい方の「渡邉」の漢字を使うように変えた。
(引きこもりで行動力も無かったため、生活圏が変わったわけでもなく、本当に小さなことですが)
7.再び身体づくりからキックのジムへ
そこからまずは、寝たきり生活により衰えていた身体を戻すため、スポーツジムで半年かけて身体をつくることから始める。
(幸運なことに長期的に休んだことで膝裏はかなり良くなっていた)
練習については、命をかけた決意の分他の人ができない量の運動をこなすことを指令として、いつも自問自答で、「これは死ぬほどできているか?」と問いながら少しでも限界まで追い込むように。
8.キックボクシング練習生~プロまでの話
そして体力がそれなりについたころ、再びキックボクシングジムへ。
それからは走って泳いで筋トレしてキックボクシングをして、毎日長時間がむしゃらに運動を続けた。
すると、引きこもり期間が長く身体が貧弱だったこともあり、キックのジムに通い始めて2週間くらいで足首を捻挫したことを皮切りに、両足首の捻挫、両足裏の足底筋膜炎、そして両手首も捻挫することに。(細かく言うともっとありますが省略)
(おそらく急激につけた筋肉に腱や靭帯など軟部組織が追い付いていなかったのと、痛めてからも休まず痛い中練習していたせいで、それから1~2年治らずその後も慢性化する所も)
そんな状態で、腹筋背筋しか出来ないような時でも、できる運動だけでも続けて1年間休まず通い、なんとかアマチュアのキックボクシングの試合に出るようになりました。
元々ものすごいあがり症で人前で何かをするのも苦手だったため、初めての試合前も嗚咽が止まらなく腹は下し、リングに上がっても体が金縛り状態で初試合は敗北。
マンガのように全勝するつもりが、現実を味わうことになりました。
再び試合に出続けるも、初年度は0勝2敗1引き分けとなり、同じジムの他の選手は勝っている中、自分だけが屈辱的な成績となりました。
ですが負け続けても、もう人生これしかなかったし、「誰よりも練習することでいずれ引っくり返せる」と自分を信じて続けました。
4試合目で初めて勝ってからは、少しずつ試合の度に慣れていき、緊張しすぎることもなくなり、勝つことも多くなりました。
その後徐々に実力をつけていき、当時アマチュアキックで全国から集まった選手で行うトーナメントで複数回好成績を収めたことでプロテストを免除されそのままプロになることができました。
プロでの話
その後プロデビュー初戦で負けた後、2戦目を控えて次は絶対に負けないためにかなり練習を追い込んでいた時に、後に引退するきっかけになった背中を痛めました。
この怪我がどこに行っても「異常なし」で治しようがなく、ギックリ背中やギックリ腰を延々と繰り返すようになり、どんどん練習できる量が減り、試合も勝ったり負けたりで最終的には一般会員さんより運動できなかったので試合に出ることも諦めました。(ちょうどコロナが流行したタイミング)
夢半ばというか、プロになってからは不完全燃焼しか残らなかったですが、辞めるきっかけになった「痛み・怪我」のおかげで、「痛みや怪我の理解を深め、人の役に立ちたい」と考え、新しい「第3の人生」を歩むことができたので、今となっては後悔はないです。
整体との出会いや、自分の店を作るきっかけは
「原因不明のケガを繰り返した私が整体を始めた理由」でも少し書いています。
9.誰かの心を動かせたら
こんな経験から今辛い思いを抱えている人に伝えたい思いがあります。
自分が助かった「きっかけ」のように。
もし、今孤独で絶望を抱えているあなたへ
他の人に対する劣等感が強ければ強いほど、
まわりへの怒りが強ければ強いほど、
それは誰にも負けない強いパワーに変換もできます。
もし、少しでも「やりたかったこと」「なりたかった自分」がいたら、
あなたは誰よりも頑張れる(輝ける)可能性があります。
それがたとえ無謀な挑戦で、周りに笑われたり理解されなくても、少なくても私はあなたを応援します。
私はプロになってから何かを成し遂げたわけでもなく、成功と言えるかもわからないです。
でもその過程で大きく考え方も人生も変わりました。
今の財産は、当時世の中を恨んでいた自分が、回りまわって今では「人のために勉強して、働くこと」が生きがいになったことです。
家族に対しても「身体のことで困っていたらなんとか助けたい」と考えるまでに変わりました。
「死ななくても人生はリセットできる」って自分を見て少しでも感じることがあれば嬉しいです。
ここまで見てくださりありがとうございました。
渡邉暁人
